日本の神社の歴史は文字が伝わる以前から

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日本の神道の根本的な部分はアニミズムに近い考えてであるといわれています。
アニミズムとは生物・無生物を問わずにすべての物に魂が宿っているという考え方です。
太陽神である天照大神をはじめ、様々な物に神が宿っているとされました。
物にも付喪神と呼ばれる紙が存在しており、現代でも日本文化に深く根差しています。

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神社の誕生は紀元前にまで遡る

日本の神道の歴史はアニミズムがメインとなっていますが、神々を祀るための建物や施設である神社が誕生したのは、紀元前にまでさかのぼるという意見が多いです。
現在でも残っている古い神社の中には、歴史を伝えるうえで文字で記録を残さなかった時代からある所も存在するため、日本で最も古い所がわからなくなっています。
かつては神社ではなく、簡易な神籬(ひもろぎ)と呼ばれる神を祀り儀式を行う簡易な場所や、神がいるといわれる磐座(いわくら)と呼ばれる場所がありました。
現在でも地鎮祭などで神籬を見かけることはありますが、これらはお社として現在のように祀る以前の形ではないかと考察されています。
磐座や神籬などだけではなく、これらがある地域の周辺を神域として大切にしていました。
磐座などは雨風をしのぐスペースがないため、雨風をしのぐ場所に神を祀ることを考えた人々がお社を建て、現在の形に近い物が誕生したといいます。

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最も古いのは京都にあった皇居ではないか?という説

なお、飛鳥時代以前には皇居に天照大神の神鏡を祀っていたとの記録が古事記などに残っているため、最も古いのは京都にあった皇居ではないかという説もありました。
第十代崇神天皇時代に天照大神を大和の笠縫邑に祀り、皇居と神宮を分離させています。
このころ徐々に地域ごとの磐座や神籬から建物としてお社などが造られるようになりました。
日本最古と呼ばれている場所を明確に指定するのは困難で、複数のお社にいわれがある物をそのまま伝えているところが多いです。
奈良時代にはすでに各地にお社が誕生し、集会所代わりにもなっていたといわれています。
時の朝廷はこれらを掌握し、管理することで日本統一を行いました。
国が認めたところは官社と呼び、地域の人々の信仰対象となっていったといわれています。
なお、大化の改新以降は仏教が日本国内に入ってきたため、神と仏を同一視し、神の像と仏像を一緒に飾ったり、お社の隣に寺がある神宮寺なども登場しました。

現在でも残っている稲荷や八幡宮、天神

平安時代初期にはそれぞれの地域の氏神信仰がメインでしたが、中期以降は多くの人の信仰を集める神を一定の地域を超えて祀るようになっていきます。
現在でも残っている稲荷や八幡宮、天神などはこの時期から日本全国で祀られるようになりました。
神社と寺院による神仏習合が進んだ結果、僧侶が神社で読経するなど現代日本人から見ると非常にシュールな光景が1千年以上も続きます。
鎌倉時代に誕生した御成敗式目では神社を修理して祭祀を専らにすべきことという項目が存在しており、神仏を大切にすることは政治においても大切なことと認識されていました。
神仏を保護するために寺社奉行と呼ばれる役職が誕生しています。
ただし南北朝以降はこの流れが徐々に弱まり、自社を保護する能力が徐々に失われました。
とはいえ室町幕府は鎌倉幕府と異なり、神仏を一緒に管理するのではなく、分けて管理をすることになります。
きめ細かな管理ができるようになったことや市民の講と呼ばれる制度などにより、参拝客は非常に多くなりました。

戦国時代には数多くの寺社が戦乱に巻き込まれる

戦国時代には数多くの寺社が戦乱に巻き込まれ、焼失しています。
このころ政治に干渉する寺社は弾圧し、時の大名たちは政教分離を行っていたといえるでしょう。
秀吉の天下統一後、太閤検地で社寺領も対象となり、領地没収などを行い、社寺の管理を室町時代よりも厳格にしていました。
江戸時代には仏教の力が強くなったのを機に大きな官社などでは神仏習合が進みますが、地域の氏神信仰は大衆信仰とみなされ、弾圧されずそのまま地域に残ります。
ただし、このころはまだ初詣を行う風習はなく、明治期直前に広まった風習ではないかという説が有力です。
江戸城開放や新政府樹立により明治政府が確認した当時の数は、約20万社でした。
1867年に明治政府により神仏分離令が出され、仏教と明確に分離されるようになります。
また、一村一社制度が導入されて、20万以上あったとされる社が半減しました。
明治・大正期にかけて全国に点在していた小さな社は、地域にある大きな社に統一されたことが記録に残っています。

まとめ

第二次大戦の敗戦以後、GHQにより神道指令が出され、政教分離を強く進めた記録が残っているのは事実です。
現存しているところは全て宗教法人となり、それ以外の所は全て解体されました。
中には神仏分離令により合祀されたお社が復活したところもありますが、全く残っていないところもあります。
一時期は初詣のみ訪れる場所と考える人が多く存在しましたが、2000年以降の和婚ブームにより、結婚式場として利用する人も増えました。

最終更新日 2025年7月8日 by essall